桜木町駅の駅名ボード
昨夜まで、金色に輝いていた「東京急行 桜木町駅」のサインも、今日には覆いが取り付けられていました。
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昨夜は、改札から駅舎を出てこの辺りまで、最終電車に乗るため人の列が続いていました。
◆◆◆
期間限定の特別カテゴリとして、「さよなら桜木町駅」を設けました。
時期がくれば消去します。
昨夜まで、金色に輝いていた「東京急行 桜木町駅」のサインも、今日には覆いが取り付けられていました。
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昨夜は、改札から駅舎を出てこの辺りまで、最終電車に乗るため人の列が続いていました。
◆◆◆
期間限定の特別カテゴリとして、「さよなら桜木町駅」を設けました。
時期がくれば消去します。
昨夜の喧騒が、一夜明け、嘘の様に静まりかえった、今日の桜木町駅です…… なんて言う常套句がぴったりする今の様子です。昨夜とほぼ同じ位置で写真を撮ってみました。すでに駅名表示にはカバーがかぶせられ、工事も始まっています。カメラを手にした人が時折、なごり惜しそうに駅の様子を撮って去っていきます。私も、その一人です。
駅構内はカメラをもったひとで溢れています。みな、駅名ボードや路線図を写真にとっています。特に、入線する電車を写せるホームの端は三脚を構える人でいっぱいです。きっぷ売り場は最終電車に乗ろうとする人が殺到し、切符を買わずに乗って、降りる駅で精算するよう案内放送が流れています。すでに改札には長蛇の列が出来ています。TV局も取材に来ています。 以上、現場からお伝えしました。
東急東横線(とうよこせん)の横浜−桜木町間が、今日の終電をもって廃止される。日常的に利用していたわけではないので、特別な思い出はないが、それでも、普段見慣れた光景が明日からなくなるのだ思うと、何だか不思議な気分だし、一抹の淋しさが湧いてくる。
みんな同じ思いなのか、ある者は本格的に三脚を立て一眼レフで、またある者はデジカメで、あるいは通すがりに携帯電話を取出して、銘々、駅の風景を思い出に収めている。
私も、ランドマーク三十六景のひとつとして、東横線を絡めた写真を撮っておけばよかったと後悔している。今日は仕事なので、それも、もはや叶わぬ夢。
さようなら、東横線。
昨日書いた「重要なのは日付順か、カテゴリ別か?」という記事で、《ここでは、日付順よりもカテゴリ別の方がより重要》と仮説を立てた。その考えに従い、サイドバーの中の並び順を少しいじって、カテゴリをより重要視した位置にもってきた。
私の場合、ココログの標準機能の範囲での対処しか考えてないので、この程度しか出来ないが、最近、ココログでは、サイドバー内のコンテンツの“折り畳み”が流行しはじめているようだ。 こちらにも関心はあるが、もはや話についていけないので、こちらでの議論を静観。おいおい勉強していければと思う。
「ごまめのつぶやき」さんは、この折り畳みを採用されているが、ちゃんと初心者向けの案内が左上隅に書いてあって、今後、是非参考にしたいと思う。 (ただ、ちょっと先のことになりだが)
世の中は更に進んでいて、こちらでは、エントリ(記事)内の配置についての議論。
投稿日時やカテゴリ、書いた人の名前などはエントリの本文を読む以前に把握しておきたい事柄なのに対して、Permanent linkやコメントなどのステータスは本文を読む以前に把握していなくても良いもの【「エントリの構造とその見た目」 from hail2u.net】
とても参考になる意見だ。
ただ、カテゴリ名は、その記事が属するカテゴリを示す役割と同時に、同じカテゴリの記事を呼び出すボタン(リンク)の役目を兼ねているので、記事を読み終わった読者に、“同カテゴリの記事はこちら”と案内するために末尾に置くという考え方もあると思う。
いずれにしても、(残念ながら)私にとっては更に先の話になりそうだ。
◆◆◆
余談ながら、従来は、「◆片隅から眺めたblog論」というカテゴリを用意していたが、どうも“blog論”というのが重いなぁと思っていた。上で引用した記事中で「blog考」という表現があり、とても気に入ったので、こちらは即参考にさせてもらって(パクらせてもらって(笑))、カテゴリ名を「◆片隅で思うblog考」に修正した。
このblogが、昨日1月28日付けの日刊ココログ・ガイドで紹介された。 こんな雑駁なページを紹介いただき、さぞや、紹介文が書きづらかったことだろうと思います。
それはさておき、やはりココログ・ガイドで紹介いただくと、アクセス数が増えたことだろうと思い、カウンターに付属のアクセス解析のページを覗いてみると、同日のアクセス数は普段の日より3割り増し程度。 先日、某著名blogに記事を取り上げてもらったとき(普段の2~3倍)に比べると、思ったほどは多くない。
そんなものか、と思いつつ、いつもは参照しない1日の内の時間帯別アクセス数を見てみると、なんと午前0時から正午まで、アクセス数がゼロ。どうやら前日1月27日の19時以降、28日の正午ごろまでカウンターが止まっていたらしい。
カウンター・サービスの案内ページにも、とくに障害発生の報告なども掲載されておらず、私のところ固有の(もしくは、小規模な範囲で起きた)トラブルだったらしい。
このカウンターは無料のもので、バナー広告すらついていない(広告付きと広告なしを自由に選べる。大半の人は、広告なしを選んでいるようだ)。なので、「まぁ、仕方ないなぁ」と“一応は”納得した。
ところで、このカウンターが動いているサーバーを維持するには、それなりに費用が掛るはずだ。それでも無料で提供するというのは、たとえ直接的なバナー広告がなくとも、自社の技術力のアピールや知名度向上といった間接的な広告効果を期待してのことだと思う。
でも、本当に広告効果があるのだろうか?
話は少々遡る。
ここのカウンターはココログ内でも沢山のひとがサービスを受けており、そのときに、あちこちのblogで取り上げられたのだが、1月4日に大規模なトラブルが発生した。ハード障害とのことで、いわば不可抗力なので、それ自体は致し方ないと思う。不幸にもバックアップも共に破損し、さらに古いバックアップから復旧したというが、Webページに掲載された、その報告(お詫び)文には、「データがかなり古いもの」や「最近登録された方」といった記述があり、私は、曖昧な表現だとの印象を受けた。
詳しいことが判らないので、なんとも言えないのだが、バックアップなら普通はいつ頃のものか記録が残っているものではないだろうか? それを「かなり古い」とか「最近」といった日付を特定できない表現しかできないことに、システム管理に何か問題があるんじゃないか?と一人密かに感じていた。
その記憶が消えないうちに、今度の障害に遭遇した。 私のとりこし苦労、勝手な誤解である可能性が大なので、これ以上、論を深めることは避けるが、私の心には疑問の念が残ったことだけは確かだ。
ただ、ここまで使ってきたことだし、何と言っても無料でもあるので、カウンターは当面はこのまま使わせてもうらうことにする。もう暫く、様子を見ることとしよう。
blogの定義を議論する際、blogであるための要件の一つとして取り上げられるものに「記事が時系列に並ぶ」というものがある。“blog”という言葉自体が“Web”+“Log(日誌)”の略であるし、blogの典型が、ニュースを引用して論評するものであったり、所謂、日記であったりすることから、このことは比較的受け入れ易い話であった。
しかし、実際に、自分が書いたこのページを見てみると、果たして、時系列に並んでいることがそれほど重要なのだろうか?という疑問が沸いてきた。
ここで私が書き散らしている記事の多くは、日付というものにあまり依存しない。日付(その当日であること)を特に意識していたのは、「冬の月」や「成人式なんていらない」あたりだろうか。
また、原則として1話完結型で書いているし、古い記事を受けて新たな記事を書く場合は、意識して「以前の記事でXXXと書いたが・・・」といった前振りをいれて書くようにしている。これは、あとから来て、その記事を先に読むひとへの配慮のつもりだ。
ここでは、ある時は写真を紹介したり、ある時はblogについて私なりの考察をしてみたり、また、ある時は、“つぶやき”みたいなことを書いていたりで、時系列で読むと、むしろ、かなり支離滅裂なことになっている。どうやら、私自身はblogツールをCMSツールとして(の面を特に)使っているようだ。
継続的に読みに来てくださるリピーターの方には、“ここからが今日書いた記事だよ”と示す意味で、最新記事を先頭に時系列に並んでいることが意味をもつが、それ以外の方(一見さん)を意識すれば、他の方々のblogはともかく、ここでは、日付順よりもカテゴリ別の方がより重要なのではないだろうか?
ただ、その場合の記事のカテゴリ分けは、いまのような大雑把な分け方では不十分かもしれない。いま、まともにカテゴリ分けできているのは、「◆横浜ふぉと散歩」くらいだろう。「◆片隅から眺めたblog論」も、最近は、「ウェブログ・ココログ関連」との違いが曖昧になりつつある。カテゴリ設定についても再考の余地ありだ。
今後は、この辺を、時間をかけてゆっくりと見直していきたいと思っている。
新年会の予定が急にキャンセルになった帰りみち、食事をしようと、蕎麦屋に立ち寄った。何にしようかとお品書きを見ると、カレー丼の文字が。よせばいいのに、例の吉野家のカレー丼と食べ比べてみたくなって、注文するこてにした。
頼んだのは、もりそばがついたカレー丼セット、900円なり。カレー丼は、この店では、単品でも800円。牛丼との比較で、高い高いと言われる吉野家のカレー丼だが、こうしてみると、400円でも充分安いのだ。
それから、待つことしばし、頼んだ品が出てきた。少し小ぶりの丼に盛られたカレー丼と、ミニせいろが2段重ね。他に小鉢やらおしんこもついて、ちょいと豪勢だ。
食べ切れるかなと心配しつつ、まずカレー丼を食べていると、半分くらい食べ進んだところで、「すみません、これ1枚でした」と、お店の人がせいろを1枚、回収していった。おいおい、しっかりしろよ、そろそろ口直しに、そばに箸をつけようかと思っていたところじゃないか。それにしても、回収していったそばは、別の客に出すのだろうか。
肝心のカレー丼の味は、吉野家のものより辛みが強かったです。
そうこうしていると、何やら客が店員に苦情を言っている。どうやら座敷に上がっていた客の靴を、先に帰った別の客が間違えて履いて帰ってしまったらしい。私にも経験があるが、間違えた当人はともかく、間違えられた方は、他人の靴と判っていて履いていかねばならず、結構、不愉快なものだ。
と、今度は、向かいの席の客が別の店員に文句を言っている。天ぷら定食が、お品書きには、車海老2本と書いてあるのに1本しかないというのだ。店員は、海老が小さいときは2本だが、今日のは大きいので1本だと説明している。客は一応納得したようだが、しつこい客だと騒ぎ立てたことだろう。
と、何やかやとあった蕎麦屋の風景だが、こんなことが気になるのは、それだけ日本が平和だと言うことだろう。
◆◆◆
で、今日に限って、こんなことを書いているのは、ココログ・ガイドに「日常の出来事についても書かれています」と紹介されたから、とりあえず、そういう事も書いておこうと思ってのことだったりする(笑)。
【帰宅途上〜自宅で「トリビアの泉」を見ながら、携帯電話より】
渡りに船というのは、こういうことだろうか。 このblogからしばしばトラックバックさせて貰っているOcologで、次のような記事があった。
そこで私は、「頻繁に更新される」というWeb上のパブリシングの特性をあえて破棄することを提案したい。【「随時更新へのアンチテーゼ」 from Ocolog】
あと1ヶ月くらいはなんとか続けたいものだと思っている。その先はいまのところ判らない。このblogの更新がとまったら、本業の方でより知的興味を引かれるものに出会えたか、知的興味はまったくわかないが物理的に忙しくなったか、もうblog自体に興味を失ったかのどれかだ。
残念ながら、いまだに知的興味を引かれるものには出会えていないし、今までと変わって忙しくなったわけでもない。blog自体への興味は、まだ続いている。だが、少々疲れてきた。だから、更新を完全に停止するのではなく、更新頻度をおとそうと思っている。以前にも書いたように、更新日付に拘るあまり、わざわざ午前0時をまってから投稿したりしていたが、そういうことはやめることにした。
ただ、決めて隔日だとか週1回とするつもりはない。これからも、しばらくは、平均すれば1日1本程度の投稿はしそうな気がしている。あくまでも、心構えとして、「毎日更新には拘らない」と表明しておきたい。 そうすることで、自分の気の持ちようを変えようと思っている。
そんなわけで、更新なしの日があっても、ご心配なく。
以前の記事で、《検索ワードで、「◆横浜ふぉと散歩」カテゴリのどれかの記事にたどり着いた場合、そのバックナンバーや最新記事を参照する方法が直感的に理解いただけているのだろうか?》との疑問を抱いたこともあり、今回、とりあえず、「◆横浜ふぉと散歩」シリーズに限り、各記事に、バックナンバーへのリンクと、カテゴリ全体の表示方法の案内文を記事末尾につけることにした。
私がこのblogで使っているアクセス解析は、カウンターのおまけなので、ページ間の移動まで詳しくは追跡できないので、効果のほどを具体的に測定はできないが、少しは、役に立つのではないかと思っている。
いちいち手動で、リンクを張るのは面倒だが、しばらくこれで様子をみてみよう。
春慶節(旧正月)のお祭のためでしょうか、横浜・中華街の関帝廟通りの公園の樹に、赤い飾りがしてありました。空の青とのコントラストが面白かったので、撮ってみました。でも、写真ではわかりにくいですね。
◆バックナンバー◆
横浜ふぉと散歩(15) 「ランドマーク三十六景・モニュメント」
横浜ふぉと散歩(14) 「ランドマーク三十六景・遠望」
シリーズ全体をご覧になりたい方は、下の「◆横浜ふぉと散歩」をクリックしてください。
仕事絡みてネットをさまよっている内、経団連(日本経済団体連合会)のサイトに迷いこんだ。名前はよく知っている団体だが、サイトは見たことがなかったので、ちょっと寄り道をして、あちこちを覗いてみると、経団連が発行する定期刊行物の巻頭言を集めたページがあった。
巻頭言を執筆しているのは、いずれも日本を代表する企業の経営者の方たち。ちょっと目をひくタイトルのものもある。興味を覚えて、いくつか読んでみた。
例えばトヨタ自動車の張社長の「『育てる文化』と『選ぶ文化』」と題するものでは、ご自身の遭遇されたエピソードから話を広げて、最後は巻頭言らしく提言--それも経営者としての自分に向けての--でまとめられている。
とても印象に残る話で、おそらく、将来、私は、何かの折にこの話題を引用することがあるだろう(たぶん、その頃には、このサイトで読んだことも忘れて、「どこかで読んだ話だが・・・」という風に)。
もちろん、このページに掲載されている文章のすべてが素晴らしい訳ではない。特にどなたのものかは言わないが、凡庸なタイトルで、内容も字数稼ぎのようなまどろっこしさだし、いったい誰に向けたメッセージなんだか判らないなぁ、と感じたものもある。
ひとに読ませる文章を書くのは難しい。できれば、私も張社長の書かれたような、ひとの記憶に残る文章を書きたいものだ。
通常、新規投稿で記事を作成して同時の他の記事のトラックバックを送信した場合、投稿が正常終了すると、記事作成画面の「相手先トラックバックURLを入力」のフィールドが空になりますが、先ほど投稿した「XXする」という記事では、URLが残ったままになっていました。
このため、記事を追記して再投稿すると、もう一度トラックバックが送られてしまうみたいです。
私のところにも、同じ記事から3回トラックバックが来ていたので、たぶん、ココログ全体でき起きている現象ではないでしょうか? (3回きたトラックバックは1件を残して、削除しました)
先日、こちらの記事で、「ネットへの接続は『ネットする』ものだと思っている」という言い回しの意味が判らないと書いたら、コメントで幾つかの解釈の仕方を教えてもらいました。 それでも、「『ネットする』ってあまり聞かない言葉だなぁ」と自分では思っていたのですが、
「パソコンする」というのは、良く耳にするのではないでしょうか。
(中略)
同様な云い方をするものに「インターネットする」と云うのがありますね。【「パソコンする、blogする」 from あそびをせんとやうまれけむ】
というわけで、先日のYES/NOの答は、多分はYESだな、こりゃあ(笑)。
(追記)
そういやぁ、某パソコン教室のテレビCMは「パソコンするならア●バ」って歌ってますね。
◆バックナンバー◆
横浜ふぉと散歩(番外編) (携帯電話からの投稿)
横浜ふぉと散歩(14) 「ランドマーク三十六景・遠望」
横浜ふぉと散歩(13) 「ランドマーク三十六景・みなとみらい21と横浜赤レンガ倉庫」
シリーズ全体をご覧になりたい方は、下の「◆横浜ふぉと散歩」をクリックしてください。
テレビを見ていたら、大手持ち帰り弁当チェーン「ほっかほっか亭」の新メニューのCMをやっていた。
新メニューは「焼肉弁当」。去る1月23日に新発売になったらしい。
もちろん、Webサイトには、牛肉には問題がないこと掲載されているし、米国産の牛肉は輸入されていないのだらか、現在、国内で流通している牛肉には何も問題がないのだが、いま、この時期に牛肉メニューを新規投入することに躊躇はなかったのだろうか?
それとも、(ストックされていた)米国産牛肉を使う牛丼屋がむしろ繁盛している様子や、人々が牛肉に飢えてくるのを見計らっての作戦なのだろうか?
いずれにしても、高度な(?)経営的な判断があったんだろうなぁ。
いまさら、わざわざ別記事にして書くこともないな、と思いつつも少し気になったので、心覚えに書いておきます。
このblogもそうですが、blogではblogについて書かれたblogあるいは記事が多くあります。
それは、ある意味、当然の現象だと思います。なぜならば、“blog”は、blogを開設する人々にとっての最大公約数の話題だがらです。
普通に考えれば、Aさん、Bさん、Cさんに共通の話題はありませんが、ここでは、ともにblogを開設しているという共通項があります。
ですから、Aさんが、たまたま、blogについての記事を書けば、普段なら関係のない、BさんやCさんからトラックバックが送られてくるかもしれません。また、Xさんがblog自体をテーマにしたblogを作っていると、Aさん、Bさん、Cさん共に関心を寄せるので、起業について興味のある方しか関心を寄せないBさんのblogに比べて、カウンターが沢山回ることでしょう。
したがって、blog自体を話題にした記事は書き手も多くなるし、トラックバックや参照数の多さから、より目立つ存在にもなります。
こうした状況を見ると、blogでは、blogについて語らなければならないような錯覚に陥ったり、あまりにもblog論が喧しい(ように見える)ので、何か小難しいような印象を受けたりするかもしれません。でも、blogについて書かれたものが目立つのは、上に書いたような事情によるものなのですから、気にすることはありません。
自分の好きなようなことを、好きなように書けばいいのだと思います。
2週間前のカレー丼につづき、今度は、吉野家の新メニュー「いくら鮭丼」を食べてきました。
昨日、テレビ(たしか、TBS系のブロードキャスターだったかな?)で、新メニューは牛丼に比べて、オーダーしてから客の前に品物が出るまでが遅いため、客回転が悪くなるといったレポートをしていました。このことは、前回、カレー丼を食べたときに少し感じたこと(カレー丼の場合、調理時間より客が食べきるのに要する時間の方が重要だと思いますが)にも通じるので、興味本位で、オーダーしてから食事が出てくるまでの時間を、携帯電話のストップウォッチ機能を使って、密かに計測してみました。
結果は、私が「いくら鮭丼」と言ってから、品物が私の目の前に置かれるまでが、「54.9秒」でした。
前の客と入れ替わりで席についたので、オーダーを受けた店員が、空いた丼を下げ、ダスターでカウンターを拭き、オーダーを大声で厨房に通すまでに約4秒かかりました。実質、50秒くらいで出てきたことになります。思ったほどは、時間が掛りませんでした。
テレビの実験では、たしか「いくら鮭丼」だけは1分半近く掛ってましたが、これは、4種類のメニューを同時にオーダーするという意地悪い実験だったため、奥の厨房では、他のメニューを優先させて調理したのでしょう。
肝心の味の方はというと、白飯の上に、鮭フレークといくらを乗せただけのものですから、想像通りの味というか、スーパーで鮭フレークといくらを買ってくれば、自宅でも同じものが出来るといった感じのものです。「いくら鮭丼」というのは、こういうものだと思いつつも、なんだか少し寂しい感じのするメニューです。せめて、ご飯が寿司飯になっているとか、何か特製のタレみたいなのが掛っているとかがないと、インパクトに掛けますね。
トレーに、丼とともにピンクの札が乗ってきていたのは、勘定のときに間違えないようにする印なんでしょうね。
久々の「横浜ふぉと散歩」。携帯電話を買い替えて、カメラ機能もかなり良くなったので、今回は番外編として、携帯電話からの投稿です。上手くいかなかったらゴメンなさい。
◆バックナンバー◆
横浜ふぉと散歩(14) 「ランドマーク三十六景・遠望」
横浜ふぉと散歩(13) 「ランドマーク三十六景・みなとみらい21と横浜赤レンガ倉庫」
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懐かしいPCの話題が出ているようなので、遅ればせながら、一口乗りましょう。
関連記事:
パソコンとの出会い
思い出ぶろぐ(Re:パソコンとの出会い)
ナツカシマイコン
私が、はじめて“CPUモノ”に接したのは、NECのTK-80。これは、ワンボード・マイコンと言われるもので、A4サイズ位のむき出しの基盤に石(IC)が並び、入力用の16進キーボードと、出力用の7セグメントLEDが8つ程付いたものです。でも、これは自分で組み立てたわけでもないし、ホントに“触っただけ”なので話はこれで終わり。
その後、友人に唆されて電気店でPC-8001やらTK-80を筐体にいれたCOMPO-BSなんかを触ったりしていた。
で、私が最初に本格的にいじったのは、シャープのPC-1211。ポケットコンピュータ、略してポケコン。BASICが搭載されたプログラミング電卓でした。大学の理系学部に入学したので、関数電卓は必須でした。
当時はシャープとカシオが電卓戦争を繰り広げていて、シャープのPC-XXXX系と、カシオのfx-XXX系が競っていました。で、どうせ買うなら本格的な(?)プログラミング言語が使える方をと思い、大きさは少々嵩張るものPC-1211にしました。以来、見様見真似でBASICを覚え、実験データの処理プログラムやら、簡単なゲームやらを日々作ってました。
その後、親父が、仕事用にということで、当時出たばかりのPC-8801を購入。仕事用なのでプリンタはもちろん、憧れの(笑)フロッピィードライブ(それも8インチ標準ディスク!)付き。当然、費用はすべて親父持ち。たぶん、合計金額は100万円くらいしたんじゃないかなぁ。
いま8インチディスクの話を若い人にすると、何かのギャグと思うらしく、信じませんね。8インチが標準フロッピー、5インチ(5.25インチ)がミニ・フロッピー、そして現在もかろうじて生き残っている3.5インチは、マイクロ・フロッピーと呼ばれていたんですけどねぇ。
で、私が親父の仕事用のプログラムをBASICで書いたりしてましたが、まぁ、使う時間は私の方が圧倒的に長かったかなと・・・。
もし今もBASICが言語の主流だったら、プログラマになっていたかもしれない(ありえねー)。
前にも書いたとおり、時々、カウンターについているアクセス解析機能のリファラー情報をみている。その結果、このblogにリンクを張ってくださっていたり、時には言及してくださっているblogを見つけることがある。
そうしたときには、私も、
どうしても「あなたのサイト観ています」という[強烈なメッセージ]を受けてしまう。 コメントやトラックバック以上の[沈黙のメッセージ]を感じてしまうのだ。
しかし、「沈黙のメッセージ」は沈黙のメッセージとして受け取って、お礼などを相手のblogに書き込んだりはしない。その理由を、「アクセス解析、私の場合」では、
心のどこかに、相手の行動を覗きみて知ったという後ろめたさ故か? それもゼロではないかも。 でも、わざわざ書くこともないという気持ちが大半。と記したが、このところをもう少し詳しく書いてみたい。
先にも書いたように、お褒めの言葉をいただいたりすると、面映い気分になるのだが、だからといって、のこのことそこに出かけてお礼を述べたりすると、後からその記事をご覧になった方にとっては、まるで“できレース”というか、予定調和というか、何かヤラセくさく見えるのではないかと思う。
記事を書いた方にとっても、ときに、“興醒め”な気分になるのではないだろうか?
筒井康隆の小説に「おれに関する噂」という短編がある。平凡な男が、ある日、マスコミが自分のことを報道しているのを知る。男の驚き、戸惑い、怒りなどで話が進み、最後に、男は意を決して新聞社(テレビ局だったか?)に向かう。そして・・・。
皆まで書くのはよそう。興味のある方は、一読されることをお勧めする(入手困難かな? まぁ、今まで書いたことから、だいたい判りますよね)。
12月1日をすぎれば、その年があと1ヶ月残していても忘年会に違和感はない。
しかし、1月20日を過ぎた新年会が、何となく盛り上がらないのは、何故だろう?
【飲み屋の帰りにて、携帯電話より】
「シンプルな画面レイアウト」という記事で、ほんの少しだけ画面デザインについて書いたが、“デザイン”について書かれた面白い記事を見つけた。
本来、機能のないデザインはデザインとは言えない。そもそも、モノのカタチは機能の表れ。その結果が「ビジュアル」にしか過ぎず、機能+美=デザインといってもいい。【「『デザイン』違い」from 濱祐旅館・家主の近況などなど】
“design”という単語を英和辞典で引くと、「計画する」や「設計する」という訳語が出てくる。本来、デザインとはそういう意味なのだ。
普段の仕事では、デザインといってもWebの画面デザインくらいしか関わりがないが、下手なのがWebのデザインをすると、いきなり、チャラチャラとした“絵”を描いてくる。それだけでも個人的には辟易すのだが、我慢そして、その絵のポイントをたずねると「FLASHでバリバリ動きます」とか「JavaScriptでココがピコピコします」とかという話になる。
そんなことを考えるのは後でいい。
まず考えるのは、そのページに乗せるべき情報は何か? それらの情報をどう分類・整理するのか? どの情報がもっとも重要で、次に重要なのは? といったことで、その結果を踏まえて、次に、では、それをどう表現するか? 空間の使い方、色や形の使い方などなどに考えを進めていくべきだと思う。そして、必要ならFLASHでもJavaでも何でも使えばいい。
本当によく出来たWeb画面デザインの提案書は、色、形、文字フォントの指定その他もろもろにちゃんと理由が示されているものだ。
・・・とは、いうものの最後は美的センスも必要で、残念ながら、私にはそれが無いようだ(苦笑)。
ふと書いた記事が、検索エンジンで上位にヒットしてしまい当惑するというのは、みなさん経験されているようで、こちらの方は、
常々Blog記事のタイトルには気をつけていたのだけど,またポカしてしまう. ポカは「綿矢りさ」をタイトルにつけた記事を書いてしまったこと.【「Blog記事のタイトルにはご注意を」 from pshige's Type】
どんな言葉を使った所で、検索はされると思う。どんな言葉にも、検索される可能性はあると思う。気にしていたら使える言葉はなくなってしまう(^_^;)。【「結局「アクセス解析」は・・・」 from Tokyo Forum】
そこで、発端となった記事のタイトルを修正し、一部を伏字にしてみた。いうなれば「逆SEO」。はたして、効果はあるのか? 暫く様子をみてみたい。 ちなみに現在“あの言葉”でgoogleを検索すると、発端となった記事が第1位でヒットしている。
都営地下鉄大江戸線に乗りながら考えた。地下鉄の中でも、特に深いところを走る大江戸線に乗車中に、もし、大地震に遭遇したら無事ではすまないだろうなと。
これは、まるで子供「通りゃんせ」遊びみたいなものだ。ただ遥かに大掛かりで、命懸けの。
どうか私のところで歌が終わりませんように…
【車内にて、携帯電話より】
年末年始には記事投稿を休止していたし、皆勤賞に拘ることは意味のないことだと判ってはいても、いまだに一日1本以上の投稿に、こころのどこかで拘っています。
しがないサラリーマンの身としては、いつ上司に誘われて飲みに行き午前様にならないとも限りません。いつも記事投稿は夜に行うのですが、家に帰ってから投稿しようと思っていたのに、そんな理由で更新が途切れてしまうかもしれません。
そんなわけで、つい、午前0時を過ぎるのをまって投稿してしまいます。今日の投稿はもう済んだので、明日の日付になるのを待とうというわけです。
「ちとからノート」のmisakoさんは、ココログをはじめて、《おなかすかないっていうか・・・食欲が抑えらてる気がする》そうですし、「ぴっくあっぷ。」さんは、《早寝早起きするようになった》そうですが、私の場合は、そんなわけで、少し寝不足気味です。 直前まで頭をつかってると、中々、寝付けないです。
というわけで、これも午前0時を過ぎての投稿です。さぁ、早く寝よ。
「ココログへの偏見」という記事に、その方が感じたココログ(の開設者)の特徴が列挙されていたので、そこに列挙されている項目に自分自身を当てはめてみた。内容上、ほぼ全文引用になってしまうがご容赦いただきたい(太字が引用した箇条)。
・昔からパソコンを使っている人が多い
YES。
たしかに私は、パソコンにBASICインタープリターが搭載されていた頃からパソコンに触れている。改めて考えてみると、かれこれ20年以上になるのだろうか。しかし、そのことがかえって災いして(?)、私のパソコン知識は、BASICの頃からあまり進歩していない(笑)。
私自身は、ココログ全体としては、そういう印象を持たないんだけど、きっと、頻繁に記事投稿して目立つblogの開設者がパワーユーザからではないかな(頻繁に投稿のあるblogによって、全体の色が決まるという意見があったと思ったんだけど、見失ってしまったのでリンクできない)。
・でもWebで日記を書くのは初めての人が多い
YES。
これが日記と呼べるかどうかは判らないけど、この手のものは初めて。むしろ、「日記を公開するなんて、そんな気持ち悪いことできるか」と思ってたくち(笑)。だから、自分としては、これは日記とは思ってない(と、強がってみる)。
・「ぶろっぐってなんだろう」とか思っている
YES。
それが動機でこのblogをはじめたようなもの(とは、何度も書いている通り)。
・でも人に聞くより試行錯誤だと思っている
YES。
これも上の項目の通り。
・Amazon信者である
NO。
本は本屋で買う。Amazonで買ったことはないし、アフィリエイトをしたこともない。ココログには、Amazonのバナーを貼っているひとが多いということかな。私はあまり気づいてなかった。目に止まっていても意識して見てないからかもしれない。
・既婚者(子持ち)が多い
NO(残念ながら・・・)。
これは@niftyがパソ通時代をいれて15年以上の歴史があるため、会員の年齢層が高くなっている故でしょう。
あるいは、フツーの人が多いので、話題として取り上げるのが家族のことが多くなるためかも。
・今更感が漂う記述が多い
blogについて語るとき「初心者ながら・・・」などと書いている通り、それも自覚の上。
このことは、何も私に限らず、たとえば、
ココログより前からblogを使ってきた先達が通過していったところを、急ぎ足で辿っていっているのかな、などと思いつつ、きっと、こんな話はとっくに出ている/繰りかえされているような気もするけれど、でも、一応、通過点として記録(笑【「ザワザワしたり、もにょもにょしたり」 from あそびをせんとやうまれけむ】
・たまにジオシティーズ的不倫日記が混じる
あ、これ、まだ見たことない。ココログルで探してみるか。
・ネットへの接続は「ネットする」ものだと思っている
??。
意味が良く判らない・・・。
・CSSは永遠の敵だ。
別に敵とは思ってないけど、第1項で書いたとおり、CSSを巧みに操れるほどの知識はないし、いまのところ、画面の絵柄をいじくりまわすことより、blogについて、あれこれ考えたり記事を書いたりする方が面白いので、わざわざ勉強してみようという気になってない。
ココログの中でも、読者を集めているblogは、CSSで画面をいじっているものが多いように思うのだけど、どうして“敵だ”という見え方になったのだろう?
◆◆◆
ところで、リアルな世界のコミュニティでも、新参者が一人のときは、旧人は、優しく手を差し伸べるが、新参者が群れを成して現れると、眉をひそめるもの。
だから、ココログによって新参者が大挙して登場すれば、それに眉をひそめるような意見が出ることも、社会学的(?)にみれば折り込み済みのことのように思います。
「初心者ながら・・・」の前置きは、それが判った上での予防線。うん、これは、パソ通時代の知恵かもしれない(苦笑)。
朝の通勤電車で、
若い頃は、その日一日の仕事の組立を考えていた。朝一に××に電話して、午前中に○○の資料を作って…、といったことだ。
少し前は、ひたすら本を読んでいた。ビジネス書の類には、余り興味がなくて推理小説のような軽い本が多かった。
そして最近は、ひたすら寝てる。
何だか、段々ダメになるようだ。
ちなみに、今日は、この記事を書いている。
【通勤途上にて、携帯電話より】
一つ前の記事で、思わせぶりに「サイドバーに関して、もう一つ気になることがある」と書いたのは、実は、ココログのコンテンツの一つとして標準的に用意されている[Recently Updated Weblogs]というもののことだ。
ココログユーザ以外の方のため、念のために説明しておくと、ココログではサイドバー(画面の右and/or左にあるリンクが並んだ部分)に何を置くかを、設定画面で選んだうえで自由に配置できるようになっている。配置できるもの(これを設定画面では「コンテンツ」と呼んでいる)の代表的なものには、このblogでも右側に並べている「最近の記事」や「最近のコメント」といったものがある。
では[Recently Updated Weblogs]とは何か?
[Recently Updated Weblogs]には、最近、記事が投稿されたココログ内のblogへのリンクが配置されることになっている。したがって、ここにどんなリンクが載るかは、開設者自身もコントロールできない(そのことは設定画面に明記されている)。
これがまだ「Blog People」のように選択的に自分の好みのblogを登録できるというのなら意味もわからないでもない。特にテーマがハッキリしているblogなら同じテーマのblogを並べることは、読者への便宜にもなることだろう。
だが、先も書いたとおり[Recently Updated Weblogs]には何が載るかわからず、しかも、対象となっているのはココログ内だけ、ということで、blog開設者の立場では、私は、これを積極的に使う方法が思いつかない。
ついでに言えば、他が「最近の記事」という風に日本語なのに、これだけ英字のままというのも納まりが悪い。
ただ、読み手の立場では、たまたま訪れた(ココログ内の)blogで、[Recently Updated Weblogs]に自分が良く訪れるblogの名があると、次にそこへ行くというのに役立ってはいる。
[Recently Updated Weblogs]を置くということは、同じココログ同士仲良くやろうという相互扶助の精神の表れなのだろうか? だとすれば、私は、ココログ内でアクセスをまわさないケチな奴ということなのだろうか?
私は、blogも含めWebのデザインは、シンプルで機能的なものを好む傾向にある。
その背景には考え方は、
あまりにいろんなものを付けすぎると、本当に見てもらいたいものが埋没してしまいます。【「サイドバーの扱い」from SO505i Stand-by Disp】
なので、ここを開設するにあたって、まだblogがどういうものかさえ良く判らない時点で、システムから「さぁ、この中から、レイアウトを選びなさい」と選択を迫られたときに考えたのは、比較的シンプルで機能的でありそうなものを、ということだ。
両側にサイドバーがあるのは、肝心の記事エリアが窮屈になりそうで、かつ、ゴテゴテとした印象になりそうだし、サイドバーなしは、バックナンバーへの参照ボタンが付けられないのは困る(実際には、記事の下に縦列に配置されるが、この時は勘違いしていた)との消去法から、片側サイドバーを選ぶことにした。
サイドバーを右にしたのは、普通、機能ボタン類は左側に置かれることの方が(おそらく)多いことに対して、少し天邪鬼な気を起こしたからで、「サイドバーの扱い」で論じられているように分析的に行ったものではないのだが、結果として、うまくいって気に入っている。
一番大事なのは記事で、できればバックナンバーなども見てもらって、お帰りは[ココログ Powered by TypePad]のロゴをクリックして、という寸法だ。
画面をシンプルにするということは、結果として、少し懸念している操作性の向上にも役立ったかもしれない。
それはさておき、私には、サイドバーに関して、もう一つ気になることがある。それは、また別記事で・・・。
なにやら、アクセスカウンタについての議論が活発な様子。 いつもの通り、「ぴっくあっぷ。」さんにお世話になって関連記事を眺めてみると、だいたい自分の感じたことは言い尽くされているような感じで、今更、書くこともないなぁ、と思ったが、こういう風に一つの話題について、様々な意見・感想が飛び交うのがblogの面白さの一面だと思い直して、自分は何故アクセス解析したかを書いてみることにしよう。 と、いうわけで、さんざん出尽くした話の焼き直しになっている点が多々あるのはご容赦ご容赦。
・何故、アクセス解析をつけたか?
直接的には、たまたま付けた無料カウンターがアクセス解析機能付きだったから。
では、なんで、アクセスカウンターをつけたかというと、経験上、アクセス数は気になるだろうと思ったからかな。個人HPを開設したとき、「アクセスカウンターなんか要らない」、それどころか「あんなの付けるの、なんかダサい」と思っていた(笑)。 それでも結局、HPには掲示板も何もなくて、アクセスした方の反応がまったく見えなかったこともあり、割りとスグに前言撤回して付けちゃったという、くら~い過去があるもんで・・・。
でも、blogの場合は、コメントやトラックバックもあるので、カウンターの必要性は少し低下。でも、大半は、何も言わずに去るサイレント・マジョリティーなので、まだ多少は意味がある。
・アクセス解析で何を見てる?
これは、もう、何度となく、ここでも書いてるとおり、リファラーを見てどこから来たかをみてる。もともと、オマケ的なアクセス解析機能だし、OSの種別やらブラウザの種別はいまのところ興味なし。
実際に見てみて、ちょっと驚いたのが、実に様々な検索ワードでのアクセスがあること。個人HPにもアクセス管理をつけているけど、そっちの方は、ぴったり予想通りの検索ワードでしかアクセスがない(考えてみたら、個人HPには先頭ページにしかアクセス解析を入れてなくて、かつ、その先頭ページはサイト名と目次くらいしかないので、他のワードで検索される筈もないんだけど)。それに比べて、ほんと思いもよらない検索ワードが使われていて、ここのネタにも散々使わせてもらいましたです、はい。
その結果、サイレント・マジョリティーもそのはず、こんなところを探していたんじゃないのに、迷い込んできてしまった人が半数以上ということもわかったので、検索ワードに使われそうな興味本位の単語は使わないようにしなきゃなぁ、と思っているところ。
もう一つが、ここの記事への言及やらここへのリンク探し。だから、リファラーで見覚えの無いblogっぽいURLがあると、覗いてみたりする。でもって、言及もリンクもなくて、よくみたらサイドバーに「Recently Updated Weblogs」があるだけだったりすると、正直、がっかり・・・。
ただ、言及やらリンクがあっても、即、相手の場所にコメントを残したりしないのは、心のどこかに、相手の行動を覗きみて知ったという後ろめたさ故か? それもゼロではないかも。 でも、わざわざ書くこともないという気持ちが大半。
・アクセス解析のあるサイトへのアクセスについて
あまり気にしたこともないです。どなたかも書いていたように、商業的なサイトなら、積極的に活用してるか否かの違いはあっても、いまどき何らかのアクセス解析はしてると思いますよ。アクセス解析されることを嫌がる人がいるということは、・・・うーん、理屈のうえではそういう方もいるだろうと判っていても、ちょっと感覚的には、そこまで嫌がることもないのでは?という感じかな。と、いいつつ、自分のPC環境にはセキュリティソフトが入っていて、たしかリファラーすらサーバに送ってないはず。わざわざそう設定しているというより、デフォルトがそうなっていたのを変えてないだけ。なんせ、マニュアル読んだりするのを面倒がる無精者なもんで・・・。
えーーと、だいたい、こんなところだったかな?