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2004.10.21

トラックバックSPAM

突然ですが、タイトル部分につけていた(アクセス解析機能付、無料)アクセスカウンターを削除しました。

blog開設当初は、メタblog的な話題も多く、アクセス解析の結果がそのネタ元になっていたりもしましたが、最近では、もはやアクセス解析の画面を見ることもなくなりましたし、以前よりタイトル部分にカウンターをいれるにのはRSSに悪影響があると(サイトタイトルにHTMLタグまで入ってしまう?)も言われていたりもしましたので、削除してもいいなと思っていました。ただ、面倒でそのままおいてあったのですが、本日、たった今削除しました。

キッカケは、某無料カウンター屋からの「トラックバックSPAM」です。 多少なりともカウンターの話に関係のある記事すべてに、自分のところに誘導するべくトラックバックしていました。トラックバック先には、無料カウンターの紹介のみで、別に元記事にからんだ話題があるワケではありません。

私は、これを悪質な「トラックバックSPAM」だと感じました。

いままで、トラックバックが重複した場合などに削除したことはありますが、それ以外はトラックバックもコメントもそのままにしてありましたが、今回は、悪質な行為とみなし、すべて削除しました。

悪質なトラックバックSPAMを行ったのは、私が利用していた無料アクセスカウンターとは別の悪質な業者ですが、無料アクセスカウンターを使い続けるのが嫌になり、冒頭にかいた理由もあって、削除することにしました。

最近は、更新も滞っていて、このblogには、たいしてアクセスもないと思うのですが、そんなところにまで、トラックバックSPAMを仕掛けてくるとは・・・。まったく、ゴキブリのような悪質な業者だ。

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2004.10.08

懐70's:木造校舎

過去3回、1970年代に姿を消した(バキュームカーは、まだ地方によっては現役だろうが)乗り物にスポットを当てて来たが、目を建物に転じると、「木造校舎」というのがこの例に当て嵌まるものの一つだろう。

私は大阪出身で、大阪市内中心部からそう遠くない地域に住んでいた。通っていた小学校は徒歩10分程度の市立小学校だが、この学校には1970年代でも、一つだけ木造の校舎が残っていた。

周辺部の比較的新しい小学校と違い、その当時すでに100周年に近い伝統のある学校だったので、余計に古い建物が残っていたのかもしれない。

当時、児童の数が減り始めていたこともあって、その2階建ての木造校舎は、なかば倉庫のような使われ方をしていた。木造の雰囲気といい、普段、ひとがいないことといい、子供達の間では、格好の“学校の怪談”の舞台となっていた。いまとなっては、そんなこともいい思い出だ。

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2004.10.07

懐70's:バキュームカー

トロリーバス三輪トラックと、1970年頃を境に姿を消した車を挙げてきたが、もう一つ毛色の違ったところでは、バキュームカーもそうかもしれない。汲み取り式トイレのし尿を回収する、あのバキュームカーのことです。

日本全体をみれば、まだまだ現役活躍している地域もあるのでしょうが、都市部では、いまではまず姿を見ることはありません。1970年頃には、まだ、都市部でもチラホラと汲み取り式トイレが残っており、たまに街で出くわしたりしましたが、高度経済成長と共に、いっきに直接放流式の水洗トイレが普及しました。

嘉門達夫のネタに、「あったら怖い、透明なバキームカー」というのがあったが、今の子供は、そもそもバキュームカーを見たことがないんじゃないだろうか?

ところで、ちょっと調べてみたところ、いま私が暮らす横浜市の下水道普及率は、99.6%だとか。

0.4%というと、「ほとんど0」との印象ですが、横浜市の人口3,532,691人を掛けると、14,130人の方はまだ下水を利用できていないということになります。こうみると、案外多いものですね。

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2004.10.06

懐70's:三輪トラック

姿を消した(見かけなくなった)乗り物といえば、もう一つ三輪トラックもすっかり見かけなった。トロリーバスが姿を消した公共交通の代表なら、三輪トラックは、民間車輌の代表といえるだろうか。

これも全く知らないという若い人向けに簡単に解説すると、三輪トラックとは見かけは、普通の(小さめの)トラックながら前輪が一つしかないというもの。前輪はバイクの前輪のように、サスペンションで支えられ、泥避けがついている。

百聞は一見にしかず、以下のサイトで当時のパンフの内容を見ることができます。

カタログで見る昭和30年代の車-ダイハツ・三輪

どことなく愛嬌のある“風貌”をしていて憎めない感じがしました。

今回、Googleで「三輪トラック」を検索してみたら、随分沢山のサイトがヒットしました。それだけ皆、郷愁を感じる車ということなのでしょう。

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2004.10.05

懐70's:トロリーバス

「動く歩道」は、70年頃を境に全国に普及していった“乗り物”だが、今にして思えば、この1970年頃は、交通機関の世代交代の時期だったようだ。

市電や蒸気機関車といった乗り物が、1970年頃を境に、第一線から姿を消していった。なかでもトロリーバスは、壊滅的といっていいほどだろう。

知らない人のために説明しておくと、トロリーバスというのは、バスと市電の合いの子のような存在で、全体の姿やタイヤで道路を走るところはバス、しかしモーターで市電のように道路上に張り巡らされた架線からポールを使って収電して走っていた。

架線が街の景観上よくなかったり、架線があると大型車輌が通行できなかったり、あるいは架線の下しか走れないため、停留所を市電のように道路の中央に作る必要があったり等々、廃止に至るには色んな不都合があったのだろうけど、電気で走るという点だけをみれば、エコロジーの面で見直されていい乗り物なのかもしれない。

参考リンク:
市営交通100周年のあゆみ(大阪市交通局)

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2004.10.04

訓練?それとも?

珍しく消防艇が活動している様子にでくわしました。v6010079.JPG

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2004.10.03

懐70's:大阪万博・動く歩道

大阪万博は、パビリオンだけでなく会場全体が“未来”に満ちていた。私自身は乗る機会が無かったが、会場内には、乗り合いの電気自動車が走っていて、広い会場内の移動に利用されていた。今にして思えば、ゴルフ場のカードみたいなものだが、当時は電気自動車というだけで新しかった。

同様に目を引く乗り物(?)が、「動く歩道」だった。いまでは、空港内やこのblogで写真テーマに取り上げている横浜ランドマークタワーへのアプローチなど、都会のあちこちに設置されていて、きわめて日常的なものになっているが、当時日本初だったかどうかはよく知らないが、少なくとも世間に広く知られるキッカケとなったのが、この大阪万博だった。

もちろん、1970年当時も、エスカレーターはデパートなどにあって当たり前の存在だったので、それを水平に伸ばしたような動く歩道は、画期的に新しいと感じさせるものではない筈なんだけれど、初めて乗る時は、わくわくしたものだ。そこには、確かに、鉄腕アトムなどに描かれている“未来”の姿があった。

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2004.10.01

懐70's:大阪万博・アメリカ館

大阪万博には、その名の通り、世界各国がそれぞれに趣向を凝らしたパビリオンを出していたけれど、展示物の目玉といえば、なんといってもアメリカ館の「月の石」だろう。 万博前年の1969年、アメリカ・アポロ計画はついに人類を月に送ることに成功。その成果としてもたらされたのが、この月の石だった。

アメリカ館は随分と面積の広いパビリオンだったが、それを取り囲むように入場待ちの人が並んでいた。何時間もかけて並んで、やっと目にした月の石は、拳骨くらいの大きさで、3本くらいの立て爪状の支柱に乗っていたように記憶している。遠目ということもあり、月の石ったって、見た目は普通の石だった。

後年(1984年頃?)、大阪難波の高島屋で開催された宇宙展(?)のようなイベントでは、小さくスライスした状態の標本ではあったけど、その月の石に直接触ることができた。オマケに月の石に触ったという証明書(といっても、チャチなカード)までくれた。 それでも、観客はまばらで、万博の頃の熱狂はどこへやら・・・という感じだった。

このアメリカ館、当時を知っているひとには説明するまでもないと思うが、いまの東京ドームのような構造をした建物で、館内に柱はなく、気圧差で膜状の天井を支えていた。入り口の回転ドアをくぐると、耳が少しツーンとしたことを覚えている。いまの東京ドームより圧力が高かったのかもしれない。

※例によって、例のごとく記憶を頼りに書いてますので、間違ってたら、ゴメンなさい。

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